メイン:常遇春(LV199)


by maplesheyi
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元ネタ暴露します①

かれこれメイポやってて1年半たちますが、

未だに絶えない質問がひとつ。

「その名前なんて読むの?」

つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚

そりゃわからん罠・・・・・・orz

(つд⊂)ヲタクデゴメンヨ。。。



というわけで、元ネタ晒します。



①常遇春

読み:じょうぐうしゅん
原音:Chang wu chun

中国明代(1368~1644)の人で、明朝開国の功臣第二等に叙せられた。
太祖洪武帝・朱元璋が未だに一反乱軍の長であった頃、僅かな手勢を率いて帰順。
長江を渡って江南各地を平定する過程で、先鋒として活躍した。
1369年、北帰した元朝の追討中に病没した。
常遇春は騎射を最も得意とし、大軍の用兵にも長じていた。
1363年、江西の雄・陳友諒と朱元璋の決戦に際しては、
主君に迫った敵将の額を射抜くなど、伝説的な逸話を残している。
また、万事慎重な朱元璋および大将軍徐達の方針に異を唱え、
なにかにつけて積極的(無謀ともいう)な攻撃策を提案するなど、
多少KYではあるものの、文武諸臣からは明朝きっての戦上手として認識されていた。
しかし、子孫は洪武帝の功臣粛清でジェノサイドされている。
その原因は嫁の弟だったり(ry

なお俗説では、もの凄い恐妻家として知られている。
このへんのギャップが、後世から愛されるキャラクターの条件といえよう。

弓の達人といえば、李広・夏侯淵・黄忠等いろいろであるが、
それらの名前はすべて使用済み(派生系も)であるにも関わらず、
常遇春だけは素で登録できてしまうあたり、
日本人の明朝に関する知識・関心の低さを見て取れて面白い。(と思う)
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by maplesheyi | 2008-02-01 00:01 | その他